2009年12月30日水曜日

わざわざ買う気持ち


ずっと買うことでモヤモヤしている

今日、たまたまテレビで「小売」に関するとても大切な言葉を聞いた。

ひとつは、「このお店で、この人から買いたい」と思ってもらわないとダメだという言葉。

もうひとつは、「私は商品を売っているのではなく、自分を売っているんだ」という言葉である。

そうだ、と思う。「どこでもいつでも同じものが買えるようになった」から店が流行らなくなった・・・という「見解」によく出くわす、が、私はずっと違和感を持っていた。違うと。「どこでもいつでも同じものが買えるようになった」からこそ、買いたい店、買いたい人から買うんだと。

同じ買うなら、どうせ買うなら、わざわざ「買いたい」店で買うのである。
このことを忘れている商売人が少なくないと思う。売れない理由は、景気や商売敵や消費者の責任であると「主張」する人からは私は買いたいとは思わない。
ただ単に、買いたい店で買いたいのである。

2009年12月29日火曜日

通天閣


年末。あと2日と少し。明日は墓参りと掃除をしよう。天気はあまり良くないみたいやから洗車は明後日かなあ。大阪出身で学校も職場も地元なので「帰省」という感覚がない。小さい頃は夏休みなどに「田舎に帰る」友達がとても羨ましかった。「なんで田舎がないんやろう」といつも感じていた。そんな私ではあるが、今では「行ったり来たり」しなくてもいい「田舎のない生活」の方が楽チンかなあと思ったりしている。
勝手である。
ただ、生まれ育った天王寺区のまちは私にとって故郷である。今でも時々歩くことがあるけれども草野球をした一角や友人の家、学校など・・・、今でも変わらない風景を確認すると心が和む。行きたいときに「地元」に「帰る」ことができるだけ、今は幸せかもしれない。
四天王寺の近くに住んでいたが、寝室の窓から通天閣の光が見えた。暑い夏の夜、なかなか寝付けず、そのテッペンの光がくるっと一周する回数を数えては寝るまでの時間をつぶしていた。
懐かしい原風景である。

音訳が拓く新たな世界


音訳ってご存知だろうか?主に目の不自由な方の為に、書籍などを音声で記録することらしい。私も最近知ったので偉そうには言えないのだけど。ある音訳をしているボランテイアの会の方から「奇跡の寄席」を音訳したいとのお申し出があった。その方々は、全くのボランテイアで書籍を音訳されているのだという。最近は著作権がうるさいので個別に許諾をとっておられるらしい。たまたま、産経新聞の記事をご覧になってこの本のことを知っていただいたという。
「奇跡の寄席」を書いて、様々な出会いがあった。どれもがとても嬉しいものであった。その中でも、この巡り合いは特別な気がしている。私が書いた文章が、文字という媒体でなく、音声で、より多くの方々に伝わる。こんなありがたいことはない。連絡を頂戴して、早速記事を書いてくださった記者の方にもご報告した。
目の不自由な方には落語ファンの方が多いのかもしれない。そんな方々に繁昌亭建設の経緯や大阪の人々の心意気を知っていただければ、より落語に興味を持っていただけるかも知れない。そして、できれば繁昌亭に足を運んでいただきたい。そんな想いを是非とも実現できればと今、考えている。

2009年12月26日土曜日

夢のまた夢


「現状に満足している」、「良い」と思う人の多くが「変革」を求めないし、その体制を堅持しようとする。それは当然のことであろう。極端なワンマン社長ではあるが、その社長から寵愛を受けていればその体制が続くことを願うであろう(少なくとも自分がその地位を継承するまでは)し・・・。今回の政権交代で「悲惨な」思いをしている人も少なくないと思う。前政権までであれば「はいわかりました」ということも(逆にそうであったが故に)、今は「NO」を突きつけられたり・・・。公共事業や補助金配分のパイそのものが減り、決定方式も仕分けやらで変わってしまったわけだから。政治の世界に限らず。権力がシフトするとはこういことなんだなあと思う。以前まで「NO」であったものがガラリと「YES」に変わる。逆も真なり。
時代のパラダイムシフトということだと思う。
そこには、一貫した信念や想いと言うものを超越した人間の性があるように感じる。
亀井さんの郵政もそうやし。ただ、時代の流れに「乗る」ことが目的になってしまうと、やや悲しい。しかし、世の全てが「そういうこと」なのかもしれない。自ら運命や人生を切り拓くことの儚さを感じる。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

2009年12月24日木曜日

インディアンスパゲティ



今日のお昼は時間が無かったので「昼飯に時間をかけられんなあ」、と思っていたらインディアンカレーがあったので入った。支店を問わず、2~3ヶ月に一度くらいはここのカレーをいただく。ただ、最近は、インディアンスパゲティ(こんな名前で良かったかな?)を注文することが多い。あのなんともいえないゴワゴワした感じの麺が旨い。ルーの味もよくマッチしている。メニューを見ていたら「ピラフ」もあるようだ。未だに私は食したことがないし、食べている人を見たこともない。どんな感じなんやろう?

2009年12月23日水曜日

今日的神話


「前の店が見えないくらい客がいた」「売り上げを入れる箱から現金がはみ出した」「他の客の邪魔になるので乳母車で来るのは禁止していた」

これらは、商店街栄光の歴史としていまだに関係者が語る「神話」である。ことほどさように、50年ほど前の商店街は栄華を極めていたらしい。

ヒートテック990円、本日限り。のユニクロは、そんな繁栄を今日再現しているかのようだ。自宅近くの店は大行列。ヒートテックは奪い合いのような状態である。
ユニクロ繁昌の理由は沢山ありそうだ。①多品種生産、②グローバル調達等による低価格、③イメージ戦略、ブランド確立、④戦略商品(フリース、ヒートテックなど)、などなど様々である。なかでも私が気になっているのが価格戦略である。低価格はもちろんであるが、「当日限り」「期間限定」で商品の値段が変動するのである。あるジャンパーは、3,990円→1,990円→2,990円、と、相場のように上下している。客はその価格を楽しんでいる感もある。週末に値下げするのも週末の賑わいを盛り上げるためでもあろう。現代的な店舗に組み込まれた「市場」のようなフレキシブルな販売価格。この会社、かなり、研究していると思う。

空気の変化


12月に入ってもミナミやキタはそれらしい雰囲気がなかったけど、今日、地下鉄なんばの駅でちょっと師走の勢いを感じた。とはいっても、まだまだ元気が足りないようには思うけれども。景気のせいか、時代の変化のせいか、最近は年末や正月の空気が薄れたように感じる。小さいときはお正月の空気が「特別」なものに感じたけど。小学校低学年の頃は正月の第一週頃はずっと百貨店もお店も閉まっていて、それがまた独特な緊張感みたいなものがあって良かったけどなあ。コンビ二はいつでも開いてるし、大型店も正月から営業してるし。以前、クリスマスシーズンにロンドンに行って、なんもかもが休んでいるのでビックリしたことがあったけど、そういうもんなんやと思う。別に1週間くらい買いたいもんが買えんかて、ええやないかと思う。そのほうがありがたみも認識できるし。生活にやっぱり緊張感がでるし。そう思うねんけどなあ。

2009年12月21日月曜日

「しんどい」んかなあ?


毎朝、Macの珈琲を飲む。120円。ドトールが200円やからかなり安い。朝飲むにはスターバックスのような濃い味よりもMacのような軽い珈琲の方が飲みやすい。ただ、最近、面白いことに気がついた。日によって、また、人によって珈琲の分量がかなり異なるのである。少ないときはカップの半分少しの時がある。多いときはカップの8割5分程度まで入っている。マニュアルの権化のような会社やのに、おかしな話である。いろんな理由があるんやと思う。私が想像するに、その理由のひとつが、「忙しいから」だと推測する。珈琲はどんどん出る。そうすると、珈琲がなくなると、新たに入れないといけない。それが「しんどい」のではないかと。一杯当たり少なく入れれば珈琲を入れる頻度も下がるからでは?と想像するのである。いつのまにか、Macのスタッフも半分以上が外国の人である。商品を安くして、人件費を削って、仕事も削る、そんな輪廻は本望やないと思う。ユニクロを着てMacの珈琲を飲む私が言うことではないのかもしれないけれども。

2009年12月20日日曜日

真冬


今、テレビの天気予報で明日の気温の話をしていた。「明日は真冬『並み』の寒さが・・・」とのこと。12月下旬は、真冬ではなく、真冬並みらしい。アナウンサーが間違っているのか、12月は真冬にならないのか?私の感覚から言うと12月下旬は真冬である。もしかしたら、「並み」の解釈が異なっているのかもしれない。辞書では、「並み」は、「そのものと同じ、そのものと同じ程度などの意を表す。」ということではあるが・・・。

2009年12月19日土曜日

ほっといて下さい。勝手な思い込みです。


企業文化、社風というものがある、ということを今日痛感した。今、ある業界のトップ企業数社を訪問し、経営幹部にインタビューしている。その業界は我々にも馴染みの深い業種であるが、各々の企業が醸し出す雰囲気はすべて異なる。収益一辺倒な会社。プライドの高い会社。地域貢献に積極的な会社・・・。企業の沿革、関連会社との関係、拠点地域等々の兼ね合いで企業文化は育まれてくるのだと思う。ただ、そのあまりの違いに愕然とすると同時に、「つきあえる」相手かどうかは、なんとなくわかるような気もする。
ただ、「つきあいやすい」会社が生き残るのか?成績を上げるのか?となると疑問でもある。一切のムダなこともせず、ただひたすらに業績を追い求める会社が「勝者」となることの方が多いのかもしれない。縮小すれば人と同じなんだと思う。「いい人」が「偉く」なるかというと、これもわからない。受験生で言うと、クラブもせず、学級委員も受けず、文化祭にもかかわらず受験勉強に精進する人が大学に通ることも少なくないのと似たところがあるのかもしれない。
ただ、私は決心した。今後は「ええなあ」と思う会社や人と「意識して」付き合っていきたい。しんどいのはマッピラである。しかし、「そうはできないから人間の世界はムズjカシイのである」のも事実である。それでも、決心に素直でありたい。と、思っている。
「そんなことできまへん」と言ったり、ちゃぶ台をひっくり返したりして楽しめたら最高ではある(後で後悔しない精神力が養えたら、の話かもしれないけれども)。

2009年12月17日木曜日

年賀状のジレンマ


クリスマスカードと年賀状の季節になった。これまではカードもかなりの枚数を書いていたけど、実は今年は1枚も書いていない。そろそろええかなあ、という気になったところもある。来たカードにだけ返事しようと考えている。年賀状も今年はスリム化する予定。こちらもそんな気分。年賀状といえば、「すれ違い」が多い。お世話になった方に初めて出す。初年度は返信がない。次年度も出す。返信がない。もうええかと思ってその翌年は出すのを止める。そうすると相手から返信が来る。その翌年、出すか出さないか?悩むところである。(相手の人も考えてるんやろうなあ)。私的年賀状のジレンマである。いずれにしても、この週末には書き始めよう。(注;写真は私の送る年賀状ではありません。イメージ画像です。)

2009年12月16日水曜日

しばらくお待ち下さい。


外食産業はホントウニ、ピンカラキリマデあるなあと思う。ただ、いいところを探すのはムズカシイけど、「あかんなあ」と思うのは案外わかるような「気」がする。それだけ、ええ店が少なくてアカン店が多いのかもしれない。でも、画一化、マニュアル化がこれだけ進んだ世の中だから、多くの店がある程度のレベルまでいくのはそんなに難しくないのではとも思うけど・・・。今日、ある忘年会に行った。途中、トイレに行こうと思って、店員の男の子に「お手洗いどちらですか?」と聞いて、返ってきた答えにビックリした。
「しばらくお待ち下さい」。
瞬間的に、この男の子がインカムに向かって「トイレおひとつ」とオーダーを通すのではと錯覚した。なんでやろう、と思っていたけど、どうやら、トイレは「ご案内すること」に決まっているのではないか?と理解した。つまり、「ご案内しますので『しばらくお待ち下さい』」という意味だったのではと。別に案内していらんねん。場所教えてくれたらええねんと、思う私は、またうるさいオッサンなのかもしれない。

2009年12月15日火曜日

国民皆携帯時代


「念のため、携帯の番号教えてください」。待ち合わせなどをした場合、必ずこう聞かれる。そのたびに、「すいません携帯持っていないんです」と答える。相手が変な顔をすると、「ほんまです。本当に持っていないんです」と答えるが、信じてもらえないことも少なくない。この10~15年ほどで「国民皆携帯」の時代になった。年金未納入であろうが携帯は持っている。小学生でも持っているのである。これで世の中が便利になったのだろうか?携帯のない時代にそんなに不便を感じていなかったのに、何故、皆携帯を持つようになったのか?原始人の私はそう考えてしまう。10年以上前、仕事で持たされていた時期があった。私は常に電源をOFFにしていてよく叱られた。発信専用電話と自分でそう考えていた。今では公衆電話も少なくなったので時々不便を感じるようにはなった。ただ、今のところ持つ考えはない。変人なのかもしれない。勝手なのかもしれない。携帯文化への多少の反発はある。コンビニが人間の規則性や買物行動をズルズルにしたように、携帯が人と人との約束を「いいかげん」なものにしていると感じることがある。「とりあえずXXで00時頃待ち合わせな。変更あったら携帯するわ」という待ち合わせがいかに多いことか。イニシエの時代は巻物に約束の内容を認めて、遣いのものに遠路届けさせ、その返信を待ちわびたハズである。それほどに、人と人との約束は「重い」ものであったハズだ。もちろん、使う側の問題ではあるが、携帯がもたらした便利さが我々の行動を揺るがしているような気がする。たかが携帯でヤイヤイ言う私もケッタイナおっさんやとは思うけど。天邪鬼やとは思うけど。

男の嫉妬


とても複雑なのが「男の嫉妬」のようだ。山内昌之氏の「嫉妬の世界史」は興味深い本である。大物の跡継ぎには必ずと言ってよいほど「従順」な「小物」が多いのも決して偶然ではないだろう。常に人は、自分より無能な後任を望むものであるようだ。また、自分の地位を脅かすものは、どんなに能力があろうと、逆にあるがゆえに阻害され、無視されるのであろう。政治家であれ学者であれ、スポーツ選手であれ、その傾向には大差がないようだ。ただ、気をつけなくてはならない点がひとつ。自身の不遇を「嫉妬された故」として片付けてしまってはいけない。その納得の仕方は、卑屈であり、卑怯であり、自己弁護的である。ただ、「人から嫉妬されなかったとすれば、それは私が大事を成さなかったという証拠である」ということも心理である。うーん。

2009年12月13日日曜日

継続性


皆さん、日課ってありますか?私は、日課が3つと「週」課がひとつあります。この数年続けています。生来、日課が続かない人間でした。夏休みの友や毎日の天候記録はもちろん、習い事(算盤、ピアノ、お絵かき等)も全く続かずに、親からも呆れられ、放置されていました。このところの「継続性」には自分でも少し驚いています。歳をとったからかもしれません。どこまで続くのでしょうか?

2009年12月12日土曜日

みっちゃん


私の神戸に対する印象は「ハイカラ」である。その言葉は「舶来」に通じるところがある。小学生低学年の時、神戸に行った時のことが印象深い。大阪とはどこか違う外国の雰囲気を感じていた。お土産に買ってもらったのがハーシーズ(だったと思う)の板チョコとインデイアンの模様のビーズの財布。特に、ビーズの財布のことは記憶に鮮明である。10年ほど前、神戸に行った時、たまたま同じ財布を見つけた。あまりの懐かしさに買い求めた。なぜかとてもうれしかった。記憶を呼び戻したような気分だった。ただ、その店も今はないようだ。確か、「みっちゃん」とかいう店だったと思う。神戸を感じることのできるお店だった。私の思い出が残る店でもあった。

2009年12月10日木曜日

何でも見てやろう


中学~高校生に薦めたい本は?と問われたら。小田実の「何でも見てやろう」をあげる。私は高校時代に読んだ。時代は異なるが「色んなものを見たい」という精神は今にも通じると思う。若者の海外旅行離れが激しいらしい。そんな時代だからこそ読んで欲しいなあと思う。(写真は蔵書の「何でも見てやろう」。今は表紙が変わってるみたいやけど)

MSG、うま味調味料


お好み焼きのカウンターで焼くのを見ていると、必ずと言ってよいほど、仕上げの段階で「ざざーっ」と白い粉がかけられる。白い粉の「線」がかなり長い間続くので、量的には少なくない。中華料理もそうらしい。ある有名うま味調味料会社の社員である私の友人に随分以前連れられて行った中華料理店。梅田にあるその店は、市内にも数店舗を有するなかなかの人気店であるが、その友人によると「かなりのお得意先」であるとのこと。そうそう、とあるカウンターしかない居酒屋もそうだった。焼き鳥を注文すると、串刺しにした鶏に「ざざーっ」と白い粉をかけてから焼き始めていた。普通の光景なんだと思うし、化学調味料・グルタミン酸ナトリウム(MSGと呼ぶ)の人体への影響は諸説があり結論は出ていない。わが国では、私の記憶が正しければ、40年ほど前は「うま味調味料を食べると頭が良くなる」という「伝説」さえあった。米国のほうがMSGへの風当たりが強いようで、中華料理店では「当店はMSGを使っていません」というような掲示をしている店が多い。日本では見かけない。もしかしたら、ほぼ全ての店で使っているから?なのか?役所が寛容なのか?消費者もこれまた寛容なのか?理由はわからない。人体への影響はわからないけど、お好み焼きや中華を食べた後に、舌に違和感があったりやたらと喉が渇くことはある。でも、それもうま味調味料のせいなのかどうか?定かではないけれども。ホンマ「食」にはわからんことが沢山あるなあ、と思う。

2009年12月8日火曜日

時代の寵児


小泉さんは今どう思ってるんやろうか?まさに一世を風靡したとも言える人気で政権を担当し、衆議院選圧勝、郵政民営化、規制緩和等を進めた。そのほとんどが今日では否定されている。格差を生んだ張本人の扱いである。颯爽と総理として登場した時は「構造改革」という言葉が一種のブームもであった。その風潮が今では思い出すことが難しいほどである。あの時、あれほど支持した国民が今、背を向けている。世論というのは残酷である。全体責任は無責任という側面がある。時代の寵児は時代に裏切られる存在かもしれない。

2009年12月7日月曜日

「勝つ」こと?


運命は「決まっている」と言われます。なすがままということだと思います。めぐり合いや別れも、全て思召しなのでしょう。楽しいこと、苦しいこと、情けないこと・・・すべて「そういうこと」なのだと思います。
小笠原がJリーグで活躍し、MVPを獲得しても日本代表には(今のところ)呼ばれません。監督がイメージする戦術や思想との差異があるからかもしれません。所属チームで補欠でも代表に呼ばれることも日本に限らず時にあるようです。監督の判断なのでしょう。
ベッケンバウアーが言ったとされる言葉に、「強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ」というのがあります。それを言っちゃあ、おしめーよぅ。という気もしますが、そういうことなのだと思います。
ただ、サッカーの様な勝負では「勝つ」ということは明確ですが、人生において「勝つ」とはどういうことなのでしょうか?いつも思うのですが、勝った瞬間に負けが来るような気がしています。逆もそうかもしれません。やはり、「なすがまま」なのでしょうか。(写真 ベッケンバウアー)

2009年12月6日日曜日

買いたい店


最近、モノを買うことはどういうことか?何が理由で「その店」で買うのか?ということを考える。同じものがどこでも買えるようになってきた。だから、買うところもバラバラになっていくのだろうか?いろんな店で買えることは幸せなことなのだろうか?便利なのだろうか?それは逆なんだろうなあと最近思う。「この店で買いたい」という店がない不幸。「この人から買いたい」と思えない現実。本もアマゾンで買うし、電化製品も価格.comやったりするし。買物はどうなっていくんやろうか?

ええ顔


今朝からガンバッテ、なんとか原稿が書けた。ちょっとしんどかった。でもまあ一安心。体調はすぐれないけど。今日、その忙しい間にフィギュアスケートを観た。思ったことが3つ。①男子高橋の氷上の顔がなかなか締まっていて、ええなあ、ということ。人間はやはりその表情である(別に洒落ちゃいます)。大リーグで活躍し始めたころの野茂の顔をそうやったし。②女子の安藤の衣装は理解できん。それとあの化粧も。ミキちゃんは青が好きなんかなあ?モロゾフの方が好きやとは思うけど。③どうもキムヨナに精彩がなかった。「真央ちゃんもいないし」ということなのかなあ?でも、キムヨナの醸し出す空気、顔付き、は妖艶やなあ。思わず応援してしまうわ。

最後にもう一度。高橋、ええ顔してるで。

2009年12月5日土曜日

ネズミであろうと象であろうと


ちょっと風邪気味のよう。喉が痛い。コート着ていないからかなあ。来週は着るようにしよう。
なんか、頭の中がつまらない雑用で充満してきた。ああ、これも年末の焦りか。イライラしてはいけない。といってもしてしまうけど。それにしても、今年の1年は早い。過去「最速」に感じる。「年とったら年々1年が早よう感じるで」とは、人生の先輩からよく聞かされるけど、ということは、「ゾウの時間・ネズミの時間」という本があったけど、年々、私はネズミになっていくということだろうか?これは例えが間違ってるのかなあ・・。いずれにしても、ちょっとしんどい、12月第一週でした。
(写真は、ワオキツネザルというらしい。これサルか???)

2009年12月4日金曜日

不毛地帯


「坂の上の雲」以外で唯一観ているテレビドラマが「不毛地帯」。唐沢寿明の演技も時代っぽくていい。前回で死んでしまったけど和久井映見も当時の女性として味がある。この女優さんはなんか影があるというか寂しい感じがする。それがまた魅力なのかもしれない。この番組、期待していたほど視聴率はとれていないらしい。題材が少し古いのかなあ。骨太の力作だと私は思います。

2009年12月2日水曜日

よく会う人


不思議とよく会う人っていませんか?私には何人かいます。確か中学の後輩だと思うのですが、何故かしょっちゅう「会う」(というより、顔をあわせる)のです。実はその方とはお話したことすらありません。同じ駅で乗り降りしているようですが、先日は堺筋本町で見かけました。
そんなことがあったので、今日、会社の同僚で「割りによく」顔をあわせる(この方も同じ駅で乗り降りしている)職員と「よく顔をあわせるよなあ」という話をしていました。実は今週はじめにも帰りの電車が同じだったことがありました(私が後姿を見ただけで、先方は気づいていませんでしたが)。そして何故か、今日の帰り道、天下茶屋のながーいエスカレーターの遥か前方に立っているその方を発見しました(あまりにも遠く、声をかけることはできませんでしたが)。偶然とはいえ、不思議です。
「ばったり」逢いたいなあ。と思う人はいます。「念ずれば通ず」といいますが、どうやらいくら念じても逢えない人には会えないようです。これまた、不思議なことですが。

もひとつSさんのこと


昨日、Sさんのことを書いたら、もうひとつ思い出した。Sさんが、パリの商工会議所の一行を大阪に迎えた時のことである。会場は今のスイスホテル、ミーティングの時間になったがSさんは控え室から出てこない。会場前では秘書が何かを待っている様子。「どないしたんやろ?」と思っていたら、定刻ぎりぎりの時刻にひとりのサラリーマン風の男性が会場に到着し、秘書に包み紙を渡している。それを受け取った秘書が控え室に駆け込み、数分後、何事も無かったかのようにSさんが会場に登場。そして、冒頭の挨拶を読み上げたSさんは、挨拶の最後に原稿に無いことを喋り出された。「私が、今締めておりますネクタイは、御地を訪問した際に、頂戴したものであります」

会議後、秘書から聞いた話に驚いた。当日の昼過ぎ、Sさんは突如、「パリの人に会うならあのネクタイを締める」と言い出されたというのである。ところが、そのネクタイ、通常、東京に保管されており、大阪には無い。「会長、あれは今、東京にありまして、今からはちょっと・・・」と秘書が説明すると、「まだ、夕方まで時間がある。持って来させなさい」と「指示」されたとのこと。その時点で残す時間は4~5時間だったとのことであるが、ネクタイは無事、大阪に届けられた・・・・。

この日は、これでは終わらなかった。そのミーティングの最後、Sさんは立ち上がり、いきなりフランス国歌(だったと思う)ラ・マルセイエーズをフランス語で歌いだされたのである。これにはフランス人もびっくり、やんやの拍手喝采。歌い終わったSさんはご満悦の様子であった。

一事が万事、人を喜ばせるためには全力。真似のできないサービス精神。
会議後、秘書が私に語った言葉が忘れられない「これで、パリの一行に『大阪におもろいおっさんがいた。大阪はおもろいところや』という強烈な印象を残したでしょうねえ。よかった、よかった」
靴で床を叩いてローハイドを唄われることがある、とは聞いていたが、ラ・マルセイエーズとは・・・。
一本のネクタイに心を込めるとは・・・・
これもまた、ええ場面を見せてもろた幸運に感謝である。