2009年11月30日月曜日

Sさんと辻静雄、そしてAさん。


中華料理。人数が増えると味わえる種類も増える。誠に家族向きの食事だと思う。それぞれがお皿に盛らないといけないし、そういうところも家庭的だ。

私が過去に食した最高級の中華料理、それは、香港での経験である。まだバブルの「尻尾が」残っていた1990年春のこと、仕事で訪れた「福臨門魚翅海鮮酒家」。もちろん、自分で行った場所ではない。その出張の「団長」であった洋酒メーカーS社のS治K三氏が団員をご案内下さったのである。ただ、「福臨門魚翅海鮮酒家」で食事をしただけならば、多分、私はその経験を思い出すことはなかったであろう。Sさんはスゴカッタ。私の隣に座ったSさんの秘書が和紙の巻物を持っていた。私が興味心から見せてもらうと、その巻物には、毛筆で献立らしきものが書かれてあった。
私「これ今日のメニューですか?」秘書「そうです」私「日本から持ってこられたんですか?」秘書「そうです」私「会長が書かれたんですか?」秘書「違います。辻さんです」
という会話があった。ただ、すごい料理が次々にサーヴィスされるので、巻物のことは暫く忘れていた。燕の巣やら鱶鰭やらナマコやらなんやら、美味しくいただいた。満腹になりデザートが出される頃、また巻物のことが気になって、「辻さんってどなたですか?」と尋ねたところ、秘書の方が「静雄さんです。」との答え・・・・・??ううん??・・・・!!!
私「辻静雄さんって、あの辻調の!!」秘書「そうです」
なんと、この日の、この食事の為に、辻静雄さん自らがこのレストランの料理長宛てにメニューを認めたというのである。もちろん、Sさんからの依頼である。ことほどさように、Sさんはサービス精神が旺盛であり、また「旦那」の空気を有する経営者であった。ついでに、その場にたまたま同席できた私は幸せであった。

閑話休題。先日、信頼するAさんに中華でたいへんなお世話になった。義父の快気祝いを梅田のBという中華料理店で開いた。その際のメニューをAさんにお願いしたのである。素晴らしい内容だった。10品のバランス、組み合わせ、量、全てが最高であった。重病からなんとか回復した義父も全てをいただくことができた。また、義父の笑顔は、我々にとっては最高のごちそうでもあった。Aさんに感謝していたら、Sさんと辻静雄さんのことを思い出した。ずいぶん前のことやけど。(写真は、大学時代に読んだ辻静雄氏の著作。今も大切に蔵書してます。)

2009年11月29日日曜日

坂の上の雲


はじまった。1時間半。大河ドラマも観たことないけど、これは観ようかと。「高揚」した時代というのが日本にもあった。日本人が元気になるテレビかもしれない。立身出世という言葉は今の時代では死語かもしれない。そういう「概念」そのものが明確ではない。価値観の「多様化」のせいだろうか?社会が成熟したからなのだろうか?

ブログを書くこと


なんで始めたんやろ?自分でも良くわからない。「奇跡の寄席」をPRしなくては、という気持ちはあった。ただ、好きなことや、これまでのことを書きたいという気持ちはなかった。ブログは不思議である。伝えるためにだけではなく、ブログを続けるためにも「書く」という行動が続いてゆく。面白くなければ止めればいい。イヤなら書かなければいい。そいいう気楽なところがブログの良いところであり、シンドイところかもしれない。今日、「仕事の」原稿を書いていてそう思った。ちょっと別物である。それぞれにナカナカムズカシイものである。(こんな原稿を読まされる皆様に申し訳なく思います。)

2009年11月28日土曜日

ピータージェニングス


World News Tonight with Peter Jennings という米国ABCのニュースがあった。NHKのBSでも放映していたのでご存知の方も多いと思う。ピータージェニングスは先年、肺がんで亡くなった。落ち着いた物腰、安心感溢れる声・・・素敵なアンカーだった。NHKが「ザ・アンカー・ピータージェニングス」という本を出している。筑紫哲也さんもこのアンカーを意識していたらしい。私の本能が最も反応したニュースキャスターであり、私的人間国宝の一人である。

2009年11月26日木曜日

深代惇郎の天声人語


私が過去、最も繰り返し読んだ本。
高校時代に購入した。金権政治、派閥政治、ロッキード事件、ウォーターゲート事件、オイルショック等々、一部題材自体が古いので、今読んでも「何かわからん」ということもあるかもしれない。しかし、エッセーとしてはどのページも素晴らしい。なぜ、購入したのかは覚えていないけど、当時はジャーナリステイックな世界への憧れがあったのだろう。
「文書を書くこと」の基本を形作ってくれた一冊である。絶版とのことであるが、時々古書店でみかける。見つけてしまうと、自宅に蔵書しているにもかかわらず、思わず購入してしまう。そういう本って、なかなか無いと思う。巡り合えてよかったと思う。

ユルユル


今日、反省することがあった。会社で仕事をしていて、ワープロが一段落。ちょっとホットしたのか、プリンタ前でプリントアウトを待ちながら、「あーしんど」と呟いてしまった。何人かの職員が周辺にいたが、幸いなことに私の言葉に気づき、反応した人はいなかった。とは言うものの、そんなに「めちゃくちゃ」しんどくもないのに「しんどい」ということを言葉に出してしまったこと(それも職場で)を情けなく思っている。簡単に言うと、これも歳のせいかもしれないけれども、それ以上に、精神的なユルユル感が漏れてしまったような気がしている。これではいけない。これではいけない。

閑話休題。今日、自宅に地域の「有力者」から電話が入ったという。その内容は、「奇跡の寄席を読んで感動した」というものであった。その方は、地域の代表として、ある公共建設物の建替えに奔走されている。それだけに、「ものを作ること」の難しさを体感しておられ、繁昌亭誕生のストーリーに共感されたとのことである。

「本を書く」、ということはそれなりの「責任がともなうんやなあ」と身の引き締まる想いがした。
ちょっとつらいなあ。

2009年11月24日火曜日

プレミアリーグへの憧憬

JCOMというケーブルテレビを利用している。インターネットや電話も同じところの回線を利用している。先般、地デジ対応にも切り替えた。そもそも、そんなに興味がないので多チャンネルは宝の持ち腐れだと思っていたし、過去2年くらい前までは実際そうであった。観るのは普通の民放だけだったからだ。
ところが、JSPORTSで英国のプレミアリーグ(サッカー)を観るようになってから、状況は激変した。ケーブルテレビもなかなかええもんである。玉に瑕なのは、マンU、リバプール、アーセナル、チェルシーのBIG4の直接対決など人気の試合はJSPORTSプラスなど、さらに視聴料が必要とされるチャンネルで放映されることである。それでも、1週間ほど待てば普通のJSPORTSで放映されるので、そんな大きな問題でもない。
サッカーの試合そのものだけでなく、サッカー関連番組もなかなかである。中でも私が好きなのはプレミアリーグの情報番組「ENG」である。MCの西岡明彦さんの語り口が心地よい。FOOTは、ややオタク的ではあるが、楽しい番組である。ENGもFOOTも民放では成り立たない番組なんやろうと思う。そう考えると、ケーブルテレビもなかなかのものである。


今日、西岡さんの本を買った。
こういう本を見つけると買わざるを得なくなる。

ああ、プレミア、観に行きたいなあー。

2009年11月23日月曜日

還暦迎え、ますます・・・・


60周年で各店たいへんな賑わいらしい。私も近所の店に行った。ユニクロでいつも思うことはユニセックスである以上に「年代を問わない」ということだ。客層は子供から60歳以上まで、極めて幅が広い。買おうかなあと思っていたセーターが今日は千円引きで1,990円。デフレ宣言されたけど、実際、この10年で衣料品はとても安くなった。また、そのきっかけを作ったのがユニクロでもあろう。バングラデシュで働く日本大使館員によると、そこにもユニクロの社員が駐在しているという。より良質で安価な素材や労働力を求め世界中にネットワークを張り巡らしているのであろう。浜矩子氏が「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という著述を文藝春秋に発表されている。その内容に信憑性があるかどうかは分らないが、ユニクロの企業行動が業界や日本経済に大きなインパクトを与えたのは真実である。


今年10月、中国が建国60周年を迎えた。「凄いなあ」と感じると同時に、なんか「怖いなあ」という雰囲気がする両者が、同じ年に還暦を迎えたというのも奇遇ではある。

2009年11月22日日曜日

ああ、連休・・・。



今月末までに書かないといけない原稿がいくつかあって、この連休を「執筆期間」に当て込んでいたけれども、今のところ一文字も書けていない。ああ情けない。受験勉強から逃避する学生のように、居眠りをしたり、テレビを観たり、怠惰な一日を過ごしている。
NHKスペシャル「チャイナパワー」を観た。「“電影革命”の衝撃 」というタイトルで、映画を通じて自国文化を売り込もうとしている中国の今を報道していた。中国の映画振興に向けた取り組みは国を挙げてのものである。つい5年ほど前までは韓国映画が大きな注目を集めており、中国の影は薄かった。韓流ブームの時期である。それがわずか5年ほどで米国を凌ぐ勢いで映画振興を進めているのである。
最近のわが国や地方自治体の文化政策にはやや市場原理偏重なところがあり、「生き残るものこそが文化である」、「経済的に自立できない文化は滅びる」という側面が強いようだ。しかし、そうとは決して言い切ることはできないと思う。文化を育て、振興するにはそれを支援する国なり支援者の存在が必要なのである。
ある落語家がまくらでする話がある「トキは、150羽位しか日本に生息していないそうです。ですから、天然記念物として国から保護されております。大事にされております。我々上方落語家も200人程度で絶滅寸前です。鳥を保護するのであれば、人間である我々も同じように保護していただきたいものです。」とは、言うものの、上方落語には繁昌亭を支援する市民に支えられるという幸運があった。
だが、そんな幸運に恵まれる「文化」は、ごく稀であるというのも現実である。その点の「見極め」が様々な「仕分け」で求められるのであろう。

自分はキワメテ怠惰な休日を過ごしながら、たまたま観たテレビをネタにして、こうしてエラソウなことを書いている。ああこれではイカンと自責するのであった。

2009年11月21日土曜日

雰囲気だけやなくて・・・


京都の伊勢丹で「あれっ」と違和感を感じた。エスカレーターに乗ったら、ほとんどの人が左側に立っている。大阪は右で東京は左、ということは聞いていたし、東京で体験もしているけど、京都が「左」とはこれまで気がつかなかった。左か右かでは「諸説」があるようだ。「慎重な東京人は心臓を守る本能が強く、左に立つ」といったものから、「武士階級を祖先に持つ東京人は、いつでも刀を抜けるように右手をあけている」との???なものまで。ただ、大阪からJRで20分ちょっとの京都が左とはちょっとびっくりである。観光客の多い京都駅だけの話なのだろうか?神戸や奈良はどうなんやろう???

京都へ


朝から京都。JR京都から地下鉄で丸太町。御所の西を北上すること10分程度でKBS京都という放送局がある。今日は、米朝一門でざこばさんの一番弟子、桂都丸さんがパーソナリティをつとめる「桂都丸のサークルタウン」で「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」のPRをさせていただいた。10時半にスタジオ入り。私の「出番」は11時半頃~。落語家であり、上方落語協会の理事でもある都丸さんには繁昌亭のお話は、まさに、「釈迦に説法」。15分程度の登場時間のほとんどが都丸さんのお話で進行し、私はとても楽をさせていただいた。終了後、わざわざお越しくださった140Bの中島さんと京都駅で食事。京都は紅葉シーズンのせいか、たいへんな人出。さすが、観光都市。大阪とはちょっと雰囲気が違うなあ。

2009年11月20日金曜日


このタイプをモンクという。靴紐を締める必要がないので履きやすいのと、(私には)ローファーよりフォーマルに感じられるので好きなタイプ。靴は奥が深いと、思う。

2009年11月19日木曜日

Kさんのこと。




先日、河内花園でお好み焼き屋に入った話を書いた。ビールを飲みたかったけど、昼から仕事ということで我慢した・・・ということを。実は、あの後、今度は大阪市西成区の花園(地下鉄四ツ橋線)に仕事で出向いた。
奇遇な「花園つながり」ではあったが。その目的は、ある商店街のイベントを実施すること。この日の本番に向け、T商店街と我々は何度も打ち合わせをしていた。商店街側で中心になって活動されていたのが会長のKさん。実は、昨年夏頃からの企画でもあり、Kさんのこのイベントに対する姿勢は極めて真摯なものだった。
ただ、いくつかの不安材料はイベント当日になっても解決していなかった。心配事のひとつが、Kさんの足の具合。このイベントでは、2キロ近く歩く必要があっただけに、「Kさん、当日、足、大丈夫ですか?」と尋ねると「薬飲んでいくから大丈夫や」と笑っておられた。そして、嬉しいことに当日のKさんは元気そのもの。我々以上に早いペースで歩き、リードして下さった。全てに誠実に取り組まれたKさんのご尽力により、約2時間のこのイベントは無事終了。参加者にも喜んでいただくことができた。イベント終了後、ホッとした表情でKさんが仰った。
「おおきに。よかったわ。おおきに。」。
その言葉を聞いて私も「よかったなあ」と実感するとともに、商店街を代表し、全責任を背負って取り組んでこられたKさんのご苦労を垣間見た様な気もしていた。
今日、夕刻5時半前。電話が入った。話をするMさんの様子がちょっとおかしいと思ったが、イヤな予感は当たった。それはKさんの急逝を知らせる電話だった。5日前は一緒に笑ろてたのに。「そんなアホなことあらへん。」・・・・アホなこと。


Kさん、ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。
本当にありがとうございました。

2009年11月18日水曜日

五代友厚のこと。


五代友厚が大阪に残した足跡はすごい。大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致したのをはじめ、初代の大阪税関長でもあり、退官後は金銀分析所などを設立し、鉱山経営、紡績、製藍業などを手掛け、実業家としても成功する。大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学、天王寺商業高等学校)、大阪製銅、関西貿易社、共同運輸会社、神戸桟橋、大阪商船、阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)などの設立に関わっている。大阪の恩人とされるが、設立で「お世話になった」われわれ子孫は思いのほかその功績を認識しないでいる。このあたりで一度、子孫が集まって「お礼」することも必要かもしれない。ある方からお話を伺いながら、今日はそんなことを考えていた。来年は、没後125年らしいし・・・なかなかおもしろいなあ。

2009年11月17日火曜日

褒章記事を読んで、全然関係ないことを考えてた。

詳しくはないけど、叙勲というのは事前に「辞退」できるようだ。というのも、そのほとんどが、関係団体等の推薦によるものだから、「わしを推薦するな」と注文すれば叙勲には及ばないからである。叙勲を辞退した経済人や文化人も少なくない。個々人の価値観、生き様がそういう「道」を選択されたのであろう。
先日の秋の褒章記事を読んでいて、あるレストランの格付け本のことを思っていた。その本が、京都、大阪の料理店を格付けをすると発表してから、「評価される側」の料理店からは様々な反応が示された。私が記憶する限りでは、「掲載を拒否する」と表明した有名料亭もいくつかあったはずである。にもかかわらず、その本には「掲載を拒否した」店がいくつも掲載されている、という。

なんか、わからん。「掲載されること」が本当に意にそぐわないのであれば、極端な話、出版元を訴えることも可能であろう(可能ではないのかなあ??)。しかし、訴訟に及んだという話は聞いていない。「大人の対応をした」ということかもしれない。どうも「叙勲拒否」と叫んでおきながら「ありがたく」叙勲しているイメージである(実際のところ、叙勲ではありえないことだが)。これこそが、「予定調和」ということか???やっぱり、イヤな感じの「落としどころ」や、と私は思う。

2009年11月15日日曜日

トライくん


東大阪のキャラクターらしい。花園ラグビー場があるからなあ。河内花園駅周辺にはいくつかの商店街がある。駅前開発が行われた北側には、大きな再開発ビルが遮るように立地する商店街があった。路地を活かした飲み屋街のようなのもあり、なかなかオモロイ。一軒のお好み焼き屋に入った。朝の11時頃やったけど、5~6人の先客が、ビール、日本酒、チューハイ。皆、酒を飲んでいた。モダン焼きを頼んだら「大と小あるけど」と言われたので、「大ってどれくらい?」と訊ねたら「大は大きいから小にしとき」と決めてくれた。豚モダン小550円。ビール飲みたかったけど、生憎、昼からも仕事。次回にしよう。

2009年11月14日土曜日

Change the world

MTV Unplugged NYC 1997 。懐かしいCD。ある一時期、仕事中、ずっとエンドレスで聞いていた。

毎日何回聞いたことか。その頃は、Babyfaceのことも知らなかった。たまたま売り場でジャケットを見て買った。最初の曲は、Change the world。数年後DVDも買ったけど、これもいい。曲を聴くと、今でも当時のことを思い出す。懐かしい。全力を尽くし、「突き抜ける」一時期があったことは本当に幸運だった。感謝。

G-SEN



G-SEN(じーせん)。大学に入るか入らないかの頃、この店に通った。髭をたくわえたマスターが一人で切り盛りしていた。法善寺横丁入口西の古いビルの2階。流れる曲はロック。リクエストもできた。客の大半は男女問わず「おひとりさま」だったように思う。馴染みが多かったが、客同士のコミュニケーションはほとんどなかった。何故かG-SENには「焼きうどん」もあった。近くのビルには地階にBEATLESという店もあった。こういったタイプの店は今はない。なんでやろう?

2009年11月13日金曜日

サイン


パーソナリティのSさんにお誘いいただき、谷九で食事。6時半から始まって、10時まで。ほとんど途切れることなくSさんの楽しいお話が続いた。Sさんの著書を頂戴する。サインしていただいた。最近、なんかサイン付いてるなあ、と、一人帰りの電車の中で思っていた。

2009年11月11日水曜日

PALMSとアポロ


日限さんのPALMSのマッチ。店もお客も格好よかったなあ。

この周辺には思い出がある。近くに父親が仕事をもらっている会社があった。そんな関係で、私がまだ小学校3~4年頃、父親に連れられてこの辺りを歩いた。昼頃で寿司屋に入った。

父「何食べたい?」私「うーん、なんかわからんわ」父「お父さんはいつも外で食べてるんやから(今日は)成光が食べたいもの頼んだらええねんで」

「お父さんはいつも外で食べてるんやから」という言葉に「ええなあ」という気持ちと「食べたいもん頼んだらええねんで」という言葉に父親のやさしさを感じた。結局「寿司盛り合わせ」を食べたような記憶がある。
その後、近くのアポロという喫茶店に入りクリームソーダを飲んだ。父親は煙草を吸いながら私を見ていた。当時、両親の仲があまり良くなかったので私自身、やや寂しい想いをしていた。それだけに父親との「単独行動」が印象に残っているのかもしれない。
PALMSもアポロも今はない。
当時のアポロのこと、知っている方っているだろうか?

マッチ箱


掃除していたら、いくつかの古いマッチ箱が出てきた。最近ではライターも目にすることが少なくなり、マッチ箱は仏壇で時折発見する程度である。写真は、「大阪エアポートホテル」のもの。今から35年程度前のものだと思う。鞄と飛行機をあしらったデザインがその時代を偲ばせるし、なかなかカッコイイ。当時は、海外旅行はもちろん、空港に行くことだけでも心ときめく体験だった。人でごったがえした伊丹空港の様子は、今も微かに記憶している。小学生の一時期、何故かマッチ箱を集めている時期があった。これも、父親に頼んでもらったひとつかもしれない。でもよく残っていたものだ。大阪エアポートホテルって、まだあるのかなあ??

2009年11月8日日曜日

黒柳さんのこと

黒柳さんにお会いした。大阪の公演にお招きいただいた。黒柳さんに関する思い出、そのどれもが私にとってはキラキラ輝く宝石のような財産である。
小さいときから考えてきたこと」(新潮社)というエッセー集も「縁」の書籍だ。今回、その本にサインしていただいた。
「もう、今年も12月ですものねえー。早いわよねー。そうだ、さっきのサイン、11月って書いちゃったわ。あらら」。
やや唖然としたが、「黒柳さん、今、11月です」と私が言うと、「マイナス1ヶ月って、書いておきますネ」と写真の通りのサインが。
ホントに黒柳さんはチャーミングで素敵な女性である。
常に明るく自然体。黒柳さんのこと、この本のこと、等々は、追って、書かせていただきます。                           


2009年11月7日土曜日

繁昌亭との共通点


140Bの中島さんがブログを書いて下さった。
1年前の話である。そのブログにある通り、私は「出版して下さる会社のあてが全くない」にもかかわらず、桂三枝師匠には「本にしますから長時間インタビューさせて下さい」と強引にお願いし、そのインタビューに中島さんにも同席していただいたのである。
私にすれば、出版業界に詳しい中島さんに私の取材現場を見ていただき、その内容をご理解いただいた上で私の原稿「売り込み先」出版社を紹介いただけたらなあ・・・という「厚かましい」思いからお声掛けしたのであった。
まさに私の一方的な都合、思惑、下心、邪心等々からの「悪魔のお誘い」であったが、中島さんは気持ちよく「悪魔」に同調して下さった。結果として三枝師匠には3度インタビューし、そのうち2回は中島さんにも同席していただくことになる。そして中島さんのブログにもある通り、3回目のインタビューが終わった後、一服目的で入った喫茶店で「140Bからの出版を検討したい」旨のご提案をいただくのである。
私はとても複雑な気持ちだった。もちろん、自分の本を出版下さるというご厚意はとても嬉しかった。しかし、反面、業績は堅調とはいえ、「スタートしたばかりの140Bにご負担をかけてはならない」という思いが強かった。何といっても私は著作もなく、文筆実績もない素人である。加えて、「書きたい」という気持ちとタイトルは「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」にしたいという考えはあるものの、具体的な構成などなどは、「書きながら考える」という計画性も何も無い最低最悪の書き手でもあったからだ。
私は、そのことを中島さんにもお話しした。ところが、である。中島さんは顔色ひとつ変えず、「私も会社を経営しているので商売にならないと思ったらこんな話はしません」と仰ったのである。そして、ここから、140B発行の「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」は具体化に向けて歩み出すのである。
土地や資金だけでなく、運営ノウハウも一切無いにもかかわらず、「上方落語の定席が欲しい」という桂三枝師匠の思いで動き出した繁昌亭。かたや、出版社のあても原稿化できる見込みも全くない中、「本にして残したい」という気持ちだけで走り出した書籍「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」。
この両者のスタートは、不思議なことにちょっと似通っている。そして、「数多くの方々のご尽力により完成した」という点でも一致している。偶然ではあるが、なかなかおもろい偶然である。
中島さんのブログを読ませていただき、ふと、そんなことを考えていたのである。(東京まで出向き販促に奔走する中島さん。おおきに

2009年11月6日金曜日

「事実」の尊さ、重さ


「奇跡の寄席」に関し、今日も数名の方からご連絡をいただいた。もちろん、お気遣いいただいてのご感想であろうけど、これまでで最も多いご感想は、「一気に読んだ、読めた」という主旨のものである。4万字程度の本なので短時間で読めるのではあろうが、「リズム、テンポが良いから」という声は、筆者としては嬉しい。また、次に多いご感想が「感動した」というものである。三枝師匠の熱意、行動が多くの方々の共感を得たようだ。私自身、「感動させる」ことは全く頭になかった(当たり前やけど)。ただ、単に事実を綴っただけである。それゆえに「事実」の尊さ、重さを痛感している。

2009年11月5日木曜日

「奇跡の寄席」がもたらすもの

アサヒファミリーというフリーペーパーがある。北摂と阪神間の朝日新聞に月何度か折り込みされているらしいが、朝日新聞は購読していても堺市に住む私は目にしたことがない。今日、夕刻5時前、1通のメールが入った。高校時代の同級生からであった。数年前の同窓会でホントニ久しぶりに会った思い出の人である。アサヒファミリーで「奇跡の寄席」の記事を見たという内容だった。どうやら、最新号で記事にしていただいたようだ。そういえば、以前、140Bの中島社長からそんな話は聞いていた。140Bの広報努力により記事になったようだ。ありがたい。

「奇跡の寄席」を通じて古くからの友人と連絡が取り合えることになるとは。「奇跡の寄席」はいろんなものをもたらしてくれる。ラグビーボールのような転がり方をするなあ、と思っている。(ところで、いったいどんな記事なんやろう???)

2009年11月4日水曜日

平川克美さん、ありがとうございました。


平川克美氏がご自身のブログで「奇跡の寄席」を紹介して下さっている。
この本を書きながら、常に意識してきたことがあった。
「残念ながら、自分は落語に詳しい訳でもなく、ましてや専門家でもないんだ」ということ。そして、「自身の経験と知識の範囲で書けることだけを書こう」ということである。
それだけに、平川さんの言葉はとてもありがたい。あわせて、「爽やか」という言葉は最も好きな日本語のひとつであるだけに、とてもウレシイ。ありがとうございました。(写真は紀伊国屋書店梅田店)

書店の「奇跡の寄席」


さて、書店の扱いである。9月16日の発売後、紀伊国屋、ジュンク堂、旭屋書店、ブックファースト、総じて「話題書」として扱って下さっている。あの紀伊国屋梅田店でも新聞記事のPOP付きで紹介して下さっていた。今回初めて知ったが、当書籍が該当する芸術、文芸のコーナーというのは、ホントにどの書店でも奥まったところにあり、落語はその中でも更に奥まった場所に陣取っている。それだけに、話題書のコーナーに置いていただいている間が販促の機会となるようだ。なかでも、ジュンク堂のヒルトン店(写真)と千日前店では大きなコーナーを設けて下さった。140Bの販促のおかげである。