2010年2月27日土曜日

ニュータウンの今

自宅の近くの小さなスーパーマーケットが閉店する。
私がここに引越しして来る少し前にオープンした、地域の市場である。1971年開店とある。小学校5年生のときに私は泉北ニュータウンに引っ越した。ニュータウンは開発途上で、泉ヶ丘の駅前もまだまだ土が剥き出しのような状態だった。駅前のショッピングセンターであるパンジョが完成するのはその1~2年先、それだけに、自宅から歩いて5分ほどの近隣センターとその中心施設であるそのスーパーがまさにコミュニティの核であった。学校帰りに立ち読みをしたり、駄菓子を買ったり・・・小学校から中学校卒業までは毎日のように通った場所である。7軒ほどある近隣センターの店舗で当時から続いているのは本屋さんと薬屋さんだけ、駄菓子屋さんも酒屋さんも気がつけば無くなってしまっていた。そして、来る火曜日には、ついにスーパーも閉店するという。
父親がこの地に自宅を建てたのは、今の私よりずっと若い時。ニュータウンという名の通り、当時の街、そして居住者も若く、将来に対する希望や明るさに包まれていた。そんな雰囲気は小学生であった私も感じていた。
天王寺の市場や商店街での対面販売が「日常」であった私にセルフサービスの「近代性」を感じさせてくれたのもこのスーパーであった。約40年の歳月が街をオールドタウンに変え、居住者のほとんどを占める高齢者の買物の場も、その存在を失いつつある。
仮面ライダーに熱中し、「へんし~ん」と叫びながら走り回っていたニュータウン第一世代の子供たちもええ中年になり、そのほとんどが今では街を離れている。「成熟」した国が皆、直面する課題なのかもしれない。ただ、ニュータウンの姿は、日本の縮図であり、その展望が無いことには日本の未来も厳しいような気がしている。

2010年2月26日金曜日

ナニワのタニマチ

2年ほど前に読んだ本、「夢のまた夢 ナニワのタニマチ」(泉井純一)を久しぶりに手にとった。石油のブローカーとして儲けて、オゴリタオシテ、獄中の人ともなった人物の書下ろしである。少し似た本として田中森一氏の「反転」も抜群に面白かったけど、この本も凄い。本と言うよりも書いた人が凄いのだろうと思う。石油ブローカーとしてオゴリタオス部分ももちろん面白いが、冒頭の「闇市の大富豪」や「家業を継いで」の章も印象深い。魅力的な方なのだろうと思う。特に、「人と付き合う視点」に共感を覚える。「人の地位」ではなく、「その人」と付き合う姿勢が清清しい。それだけに、当時も今も、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いを貫いておられるのだろうと思う。現在は生まれの鶴橋で生活されているようだ。どこかですれ違っているかもしれないなあ。

2010年2月23日火曜日

極北の流刑地

「生意気な口を叩くな。君には極北の流刑地で囚人番号を押され、地下数十メートルの暗黒の坑内でつるはしを持ち、11年間も重労働を強いられた人間の苦しみがわかるか!!」
前回の不毛地帯での唐沢寿明の台詞である。迫真の演技。重要な場面だったのだと思う。気持ちが伝わってきた。

2010年2月22日月曜日

サッカー観戦の参考書

求めていた内容に近い本を読んでいる。「サッカースカウティングレポート 超一流のゲーム分析」。元日本代表コーチの小野剛さんの著書である。まだ、途中ではあるけど、この本のエッセンスは
Chapter2だろう。私にとっては、サッカー観戦の参考書である。もうすぐJ1がスタートする。セレッソもJ1、今年も年間パスを手に入れた。豪華な対戦相手だし、一生懸命サッカーの「勉強」をしたい。あー楽しいなあ。

2010年2月20日土曜日

商店街

仕事でK商店街へ。忘れかけてた店構えや買い方、商品を想い出すことができた。うどん、うどん出汁、きつねうどんの油揚げ、昆布あられ、豆腐・・・を帰りに購入。気がつけばえらい荷物に。どの商品も素晴らしい。地元の人に紹介されたお店はどれも「通いたい」お店だった。こういう商店街での買物は楽しい。幸せな気分になった。

清水宏保さん

スケートの話題を。先日の朝日新聞で印象に残る記事を読んだ。スピードスケートの清水宏保さんが500mで銅メダルをとった加藤条治選手に関して書いた文章だ。全文を引用する。

 条治(加藤)よ、悔しさがだんだんこみ上げてくる銅メダルではなかったか。 僕も同じ色のメダルを持っている。長野五輪の男子1000メートル。500メートル金メダルの勢いで取らせてもらった。正直、まぐれの要素もあり、うれしいメダルだった。一般的に「銀メダルは悔しいメダル、銅メダルはほっとするメダル」と言われる。つまり、銀メダルには金に届かなかった悔いが残り、銅メダルは表彰台に上がれたという財産が残るという意味合いだ。
 条治、君は違っただろう。金メダルが狙えたレースだった。結果として、銅メダル。さらに、銀メダルは同じチームの長島圭一郎に逆転を許し、さらわれた。レース直後の苦しそうな表情は、滑り終えた後の疲れだけではなかったはずだ。
 頂点に立てなかった原因ははっきりしている。2回目の滑りだ。第1コーナーの出口でバランスをくずし、最後の直線はスタミナ切れから失速した。1回目と同じレースを2回目でもしていれば、表彰台の頂点を十分狙えたのだ。これは、たまたま起こったことではない。1回滑るだけなら、君は本当に強い。しかし、2回そろえることが普段からの課題だった。
 僕は君に言われたことがある。「清水さん、あんなにつらいトレーニングをやらなきゃいけないなら、僕スケートやめます。楽して金メダル取りたいですね」。僕の練習のドキュメンタリーを見ての感想だった。僕は心肺機能を高めるために失神寸前まで自分を追い込むトレーニングをしてきた。それに対しての反応だった。腹もたたなかった。失礼だとも思わなかった。ある意味で、君は天才だから。コーナリングは僕が教えを請うほどの能力を持っていた。
 今回、ズバリ何が足りなかったのか。1000メートルの練習だ。君は500メートルに特化し、1000メートルを捨てた。しかし、500メートルを1日2回滑る今の五輪では1000メートルの練習が不可欠なのだ。 銅メダルで満足していないはずの君だから、言う。4年後金メダルを手にするには練習方法の変更が必要だ。栄光のメダリストに対して、あえて厳しく書いたことを許してほしい。(長野五輪金メダリスト・清水宏保 朝日新聞2010年2月17日)

自分に自信が無いと、そして、後輩の成長を願う気概がないと書けない文章である。こういう指摘が出来る人物を私はあまり知らない。凄い。

2010年2月19日金曜日

高橋選手が銅メダル。「ええ顔」が定着してきたし、自信が感じられた。面構え、顔付き、でその人物がわかる。ナンカシソウナ「顔」がある。
フィギュアスケートはなかなかおもろい。バンバン、ジャンプを決めても「情緒」がない演技もあるし、地味でも味のある演技もある。高橋選手の演技はとても良かったと思う。回転を追及しなくても充分メダルだったかも。「道」という曲も良かった。「道」という字、言葉、とても好きだ。全然関係ないけど。

2010年2月18日木曜日

久々の繁昌亭

信頼し、お世話になっているSさんが大阪に来られた。「繁昌亭を」とのご希望があったので久々に夜席に。喜んでいただけた。こういう時に、「繁昌亭ができてよかったなあ」と実感する。「友 遠方より来たる また楽しからずや」やなあ。

2010年2月17日水曜日

島民。

それと、島民でも採り上げていただいた。Mさんが記事にして下さった。訳ワカランことを喋ったののにまとめ上げていただいた。さすがである。それと、よう考えたら、落語とは何の縁もなかった私がたまたま三枝師匠と知り合い、繁昌亭の本を書いたから、こうなった。不思議なことやけど、こんなもんなんやろうなあとも思う。計算や画策や目標設定なんかを超えた何かがあるからおもしろいんやろうなあ。明日、久々に繁昌亭に行く。夜席。お世話になっているSさんのリクエストである。これ位しかお返しでけへんから、喜んでいただければと思っている。それにしても、久々やなあ。晩飯、何食べよかなあ。

2010年2月16日火曜日

5ヵ月・・・

「奇跡の寄席」について、その後の様子を。
だいぶ以前に「明日にでも」報告する、としていた読売新聞の記事。M先輩とT記者のおかげで実現した。写真が大きく、びっくり。それと、先日、千里FMで少し話をさせていただいた。そのスタジオは千里中央から歩いて20分弱のところで住宅街の中にあった。マンションの中2階のような場所。地域放送局らしい、とても好ましい場所だと思った(近く移転されるらしいけど)。ラジオ局での「奇跡の寄席」の話は3回目。今回は、豊中のAさんのご好意によるものだった。「奇跡の寄席」を発行して、まだ5ヶ月ほど。もっと経ったような気がするけれども・・・。案外、時間が経つのが遅い時もあるもんやなあ、と思う。

2010年2月15日月曜日

音訳3巻

「音訳」が届いた。90分テープが3巻。本文だけでなく脚注や奥付も全て読んで下さっている。写真のページはその写真の様子までも解説していただいている。3時間以上も「奇跡の寄席」を読み込んで頂いたことに感激している。また、読むことと聴くことでは「迫ってくるもの」が異なることにも気付いた。この音訳を通じて、何人かの方々に繁昌亭を知って頂けると思うと、この音訳を実現して下さった川西市の「音訳グループさわらび」の皆さんに感謝である。本当に、嬉しい、誇らしい気持ちを味わっている。ありがとうございました。

2010年2月14日日曜日

惨敗

監督は厳しい立場である。勝てば良いが、負ければほとんどの責任を負わされる。しかし、それだけの報酬と名誉が与えられるのだから、仕方がないのかもしれない。岡田監督はフランスW杯に日本を導いた監督である。代表決定戦ではアンタッチャブルでもあった三浦カズをベンチに下げ、投入した城や岡野が得点を決めるなど、大きな決断をした人物であり、日本サッカー界もそれだけの評価と敬意を払う必要があろう。ただ、監督にもタイミングと適性がある。日本代表を立ち直らせるには「監督交代」というのが切り札であろう。どういう決断が下されるのかわからないけれども、東アジア選手権の結果は検証すべきだ。W杯に悔いを残してはならない。残された時間も少ないのである。迅速な対応が必要だろう。

2010年2月9日火曜日

平尾誠二

今、山積している私の「課題図書」のひとつである「型破りのコーチング」(平尾誠二、金井壽宏)に納得できる一節があった。金井先生の見解である。「成功のカギを握っているのは予想外の出会いや、意図したものではない人間関係です。」 そうやなあと思う。
 平尾さんの着眼点にも気づかされることが多い。以前読んだ「平尾」本に、ラグビーの試合当日に相手が「汚い」スパイクを履いてたら「しめた」と思う・・という話があった。大事な試合なのに「スパイクを手入れする余裕もない」敵など怖くないという主旨だったと記憶している。この発想はすごい。そんな洞察力溢れる平尾さんの視点に金井先生の解説が盛り込まれたこの本は面白い。
 本を読みながら、「平尾さんのような上司やったらどんな感じなんやろうか?」とぼんやり考えた。経験したいものではある。よう考えたら同年代やけれども。

2010年2月8日月曜日

統合決裂

サントリーとキリンの統合が決裂したらしい。世界有数の食品メーカーが日本に誕生しなかったことについては残念な気がする。ただ、サントリーがサントリーらしさを維持するには今のままの方が良いのは確かではあろうから、その点では良かったかなと思っている。特に、大阪発祥のサントリーが三菱系のキリンと一緒になることは想像しがたかったし、やはり、しんどいところがあったとも思う。ただ、今後ますます食品メーカーの統合・合併の動きは加速するに違いない。グリコハウスとか味の素サッポロとかカルビー湖池屋(これは、ちっちゃいか?)とか、出来てるかもしれんなあ。

2010年2月3日水曜日

ふく鍋

今日、山口県の人からおもしろい話を聴いた。山口のふぐの食べ方は、まず、身を捌いて刺身などで食べ、残りのガラやアラを鍋にし、最後に雑炊にするだそうだ。だから、鍋のとき、ふぐの身はほとんど残っていないのが「普通」なのだとこと。「大阪の人が山口でふく(山口では「ふく」)鍋を食べたらびっくりする」と、その人は笑って語っていた。これは、一回、現地に行って確認せねばならない。なあ・・・・。

2010年2月2日火曜日

料理

アルザスってほとんどドイツ圏のフランスなんですね。私はそんなことも知りませんでした。だから、アルザス風の料理って言うのは、ビールを使ったスープであったりソーセージであったりするようです。なんでこんなことを書くのかというと、そんなことを知ったからです。どうでもええけど。さて、中華も地域で様々です。私は昼飯には台湾料理がええなあと思います。ですから、会社の近くに本格的な台湾料理屋さんがあればなあと思います。昼に旨い焼きそばがあれば満足です。なんで今日はこんなことを書いてるんやろう?ようわかりません。

2010年2月1日月曜日

FourFourTwo

英国在住の知り合いに無理をお願いして雑誌を送ってもらった。「FourFourTwo」というサッカーの専門誌である。思っていたよりもページ数も多い(140ページほど)し、内容も多彩である。プレミアを中心とはしているけれども各国の情報が載っている。なかなか面白い。年間購読できるようなので申し込もうかなあ。まあ、先にこの号を読んでからにしよっと。