「やっつけ仕事」という言葉がある。時間や余裕が無い中で「こなす」仕事のことと私は理解している。「やっつける」場合には、何かを省略、もしくは犠牲にする必要が生じる。企業の場合、たとえば、商品が売れること、高い評価を受けること、顧客のニーズを満たすこと・・・などが最終・最大目的になるのだろうと思う。その場合、犠牲にされることは社内の調整、利益率の削減、そしてまた、従業員の余暇時間・・・といったことになるのだと思う。企業のイケナイ論理で従業員をこき使い、フル回転させることで「売れる商品」を作り、市場に提供している側面があるのかもしれない。この循環に私は賛同できない。でも、企業が生き残り、社員の生活を保証する、社員を仕事を通じてレベルアップさせるといった観点からは渋々yesの立場でもある。
他方、こんな会社もある。優先される用件は、①社内の同意、②あいまいな慣例、③いろんな意味での「軋轢・不満」を生じさせないこと・・・。そこで犠牲にされるものは、なんと「仕事」そのものである場合が多い。「少しでも顧客満足度の高い商品・サービスを生み出そうとする意欲」が生じさせる良い意味での苦労や軋轢を毛嫌いし、現状維持でよしとする風潮の蔓延。そういった会社では目端の利く社員は楽チン仕事にずいーっとシフトし、人材育成も頓挫する。「一生懸命しても一緒や」「しんどい思いするだけ損や」「誰も見てへんし」・・・。この現象の根源は、マットウナ判断・評価の目を有しない評価側の無能さに由来すると断言できる。
いくらなんでも、顧客へのサービスを犠牲にしてはならない。そして、「緩く」仕事をすることが、自身の成長に大きなマイナスを生じさせることにも当事者は気づかなくてはならない。
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