2010年3月24日水曜日

ラインバック選手って、知ってます?

不確実ではあるが、私には密かな自慢がある。
昔、阪神タイガースの外野手として活躍したラインバック選手に日本で最も早く会い、サインをもらった(はずの)ファンなのである。場所は伊丹空港。wikipediaによると1976年来日とあるからその年のことだったのだろうと思う。私は、何かの用事で空港の喫茶店に家族といた。そこに何人かの日本人に付き添われたその外国人が入ってきた。万博後とは言え、まだまだ街中で西洋人を見ることが少なかった時代であり、またその外国人がかなりの長身でカッコ良かったことから、私はその人物は「只者ではない」と直感し、ずっと見ていた。そうこうする内に、「阪神の新しいガイジンらしいで」ということが漏れ伝わってきた。初めてまじかに見るガイジンの野球選手。私は喫茶店のテーブルにあった三角に折ったナプキンをひろげて、サインをお願いした。薄っぺらいナプキンにサインをお願いすること自体が非礼であることなどその東洋人の小僧は知る由もなかった。ただ、そのガイジンはニッコリと微笑み、私には理解できない言葉で話しかけ、とても気持ちよく黒色のボールペンでサインをしてくれたのである。
実のところ、私はそんなに阪神ファンではなかった。どちらかと言うと、当時は高橋一三というピッチャーが大好きで、たまたまその選手が所属している巨人に関心がある程度の野球ファンであった。したがって、折角頂戴したサインであったが、どこかに失ってしまったし、かてて加えて、そのサインをしてくれたガイジンがラインバック選手だと言うことさえ暫くの間、知らずにいたフトドキモノでもあった。ところがある時、多分、高橋一三が投げた阪神-巨人戦をテレビで観ている時だったと思う。必死に打球を追い、フェンスに激突してもボールを離さない外野手がいた。勢いで帽子が脱げ、その選手の顔がテレビで大きめに写った。「あっ」と声が出た。そのライトの選手は伊丹空港で優しくサインをしてくれた、あのガイジンさんだったのだ。
それ以来、私は高橋一三とラインバックのファンになった。ラインバックはガッツ溢れるプレーで阪神ファンの心を掴んだ。過去の阪神の助っ人の中でも、その人気はトップクラスであろう。あの闘志、そして、あの優しさ、今から考えても人気があってしかるべき選手だった。事故で亡くなられたことは、後に「探偵ナイトスクープ」で知ったが、今だに忘れられない、大好きなスポーツ選手の一人である。

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