「奇跡の寄席」について、その後の様子を。
だいぶ以前に「明日にでも」報告する、としていた読売新聞の記事。M先輩とT記者のおかげで実現した。写真が大きく、びっくり。それと、先日、千里FMで少し話をさせていただいた。そのスタジオは千里中央から歩いて20分弱のところで住宅街の中にあった。マンションの中2階のような場所。地域放送局らしい、とても好ましい場所だと思った(近く移転されるらしいけど)。ラジオ局での「奇跡の寄席」の話は3回目。今回は、豊中のAさんのご好意によるものだった。「奇跡の寄席」を発行して、まだ5ヶ月ほど。もっと経ったような気がするけれども・・・。案外、時間が経つのが遅い時もあるもんやなあ、と思う。
2010年2月16日火曜日
2010年1月5日火曜日
経済と文化の両輪
カレンダーは約40年ぶりに内容を一新した。お蔭様で販売も好評で新規顧客も大幅に増加した。ただ、この記事にもある通り、私自身、「経済人の作品」の方が「大商らしい」と今でも思っている。ただ、時代の流れ、経済界の変化に旧来のカレンダーが対応できなかったのも事実である。
なかなか理想と現実の乖離は大きく、難しいところである。いずれにせよ経済記者の方が文化に関心を持っていただいたことは、またうれしいことでもあった。(もうひとつの記事については明日にでも報告します)
2009年12月29日火曜日
音訳が拓く新たな世界
音訳ってご存知だろうか?主に目の不自由な方の為に、書籍などを音声で記録することらしい。私も最近知ったので偉そうには言えないのだけど。ある音訳をしているボランテイアの会の方から「奇跡の寄席」を音訳したいとのお申し出があった。その方々は、全くのボランテイアで書籍を音訳されているのだという。最近は著作権がうるさいので個別に許諾をとっておられるらしい。たまたま、産経新聞の記事をご覧になってこの本のことを知っていただいたという。
「奇跡の寄席」を書いて、様々な出会いがあった。どれもがとても嬉しいものであった。その中でも、この巡り合いは特別な気がしている。私が書いた文章が、文字という媒体でなく、音声で、より多くの方々に伝わる。こんなありがたいことはない。連絡を頂戴して、早速記事を書いてくださった記者の方にもご報告した。
目の不自由な方には落語ファンの方が多いのかもしれない。そんな方々に繁昌亭建設の経緯や大阪の人々の心意気を知っていただければ、より落語に興味を持っていただけるかも知れない。そして、できれば繁昌亭に足を運んでいただきたい。そんな想いを是非とも実現できればと今、考えている。
「奇跡の寄席」を書いて、様々な出会いがあった。どれもがとても嬉しいものであった。その中でも、この巡り合いは特別な気がしている。私が書いた文章が、文字という媒体でなく、音声で、より多くの方々に伝わる。こんなありがたいことはない。連絡を頂戴して、早速記事を書いてくださった記者の方にもご報告した。
目の不自由な方には落語ファンの方が多いのかもしれない。そんな方々に繁昌亭建設の経緯や大阪の人々の心意気を知っていただければ、より落語に興味を持っていただけるかも知れない。そして、できれば繁昌亭に足を運んでいただきたい。そんな想いを是非とも実現できればと今、考えている。
2009年11月21日土曜日
京都へ
朝から京都。JR京都から地下鉄で丸太町。御所の西を北上すること10分程度でKBS京都という放送局がある。今日は、米朝一門でざこばさんの一番弟子、桂都丸さんがパーソナリティをつとめる「桂都丸のサークルタウン」で「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」のPRをさせていただいた。10時半にスタジオ入り。私の「出番」は11時半頃~。落語家であり、上方落語協会の理事でもある都丸さんには繁昌亭のお話は、まさに、「釈迦に説法」。15分程度の登場時間のほとんどが都丸さんのお話で進行し、私はとても楽をさせていただいた。終了後、わざわざお越しくださった140Bの中島さんと京都駅で食事。京都は紅葉シーズンのせいか、たいへんな人出。さすが、観光都市。大阪とはちょっと雰囲気が違うなあ。
2009年11月7日土曜日
繁昌亭との共通点
140Bの中島さんがブログを書いて下さった。
1年前の話である。そのブログにある通り、私は「出版して下さる会社のあてが全くない」にもかかわらず、桂三枝師匠には「本にしますから長時間インタビューさせて下さい」と強引にお願いし、そのインタビューに中島さんにも同席していただいたのである。
私にすれば、出版業界に詳しい中島さんに私の取材現場を見ていただき、その内容をご理解いただいた上で私の原稿「売り込み先」出版社を紹介いただけたらなあ・・・という「厚かましい」思いからお声掛けしたのであった。
まさに私の一方的な都合、思惑、下心、邪心等々からの「悪魔のお誘い」であったが、中島さんは気持ちよく「悪魔」に同調して下さった。結果として三枝師匠には3度インタビューし、そのうち2回は中島さんにも同席していただくことになる。そして中島さんのブログにもある通り、3回目のインタビューが終わった後、一服目的で入った喫茶店で「140Bからの出版を検討したい」旨のご提案をいただくのである。
私はとても複雑な気持ちだった。もちろん、自分の本を出版下さるというご厚意はとても嬉しかった。しかし、反面、業績は堅調とはいえ、「スタートしたばかりの140Bにご負担をかけてはならない」という思いが強かった。何といっても私は著作もなく、文筆実績もない素人である。加えて、「書きたい」という気持ちとタイトルは「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」にしたいという考えはあるものの、具体的な構成などなどは、「書きながら考える」という計画性も何も無い最低最悪の書き手でもあったからだ。
私は、そのことを中島さんにもお話しした。ところが、である。中島さんは顔色ひとつ変えず、「私も会社を経営しているので商売にならないと思ったらこんな話はしません」と仰ったのである。そして、ここから、140B発行の「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」は具体化に向けて歩み出すのである。
土地や資金だけでなく、運営ノウハウも一切無いにもかかわらず、「上方落語の定席が欲しい」という桂三枝師匠の思いで動き出した繁昌亭。かたや、出版社のあても原稿化できる見込みも全くない中、「本にして残したい」という気持ちだけで走り出した書籍「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」。
この両者のスタートは、不思議なことにちょっと似通っている。そして、「数多くの方々のご尽力により完成した」という点でも一致している。偶然ではあるが、なかなかおもろい偶然である。
中島さんのブログを読ませていただき、ふと、そんなことを考えていたのである。(東京まで出向き販促に奔走する中島さん。おおきに)
1年前の話である。そのブログにある通り、私は「出版して下さる会社のあてが全くない」にもかかわらず、桂三枝師匠には「本にしますから長時間インタビューさせて下さい」と強引にお願いし、そのインタビューに中島さんにも同席していただいたのである。
私にすれば、出版業界に詳しい中島さんに私の取材現場を見ていただき、その内容をご理解いただいた上で私の原稿「売り込み先」出版社を紹介いただけたらなあ・・・という「厚かましい」思いからお声掛けしたのであった。
まさに私の一方的な都合、思惑、下心、邪心等々からの「悪魔のお誘い」であったが、中島さんは気持ちよく「悪魔」に同調して下さった。結果として三枝師匠には3度インタビューし、そのうち2回は中島さんにも同席していただくことになる。そして中島さんのブログにもある通り、3回目のインタビューが終わった後、一服目的で入った喫茶店で「140Bからの出版を検討したい」旨のご提案をいただくのである。
私はとても複雑な気持ちだった。もちろん、自分の本を出版下さるというご厚意はとても嬉しかった。しかし、反面、業績は堅調とはいえ、「スタートしたばかりの140Bにご負担をかけてはならない」という思いが強かった。何といっても私は著作もなく、文筆実績もない素人である。加えて、「書きたい」という気持ちとタイトルは「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」にしたいという考えはあるものの、具体的な構成などなどは、「書きながら考える」という計画性も何も無い最低最悪の書き手でもあったからだ。
私は、そのことを中島さんにもお話しした。ところが、である。中島さんは顔色ひとつ変えず、「私も会社を経営しているので商売にならないと思ったらこんな話はしません」と仰ったのである。そして、ここから、140B発行の「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」は具体化に向けて歩み出すのである。
土地や資金だけでなく、運営ノウハウも一切無いにもかかわらず、「上方落語の定席が欲しい」という桂三枝師匠の思いで動き出した繁昌亭。かたや、出版社のあても原稿化できる見込みも全くない中、「本にして残したい」という気持ちだけで走り出した書籍「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」。
この両者のスタートは、不思議なことにちょっと似通っている。そして、「数多くの方々のご尽力により完成した」という点でも一致している。偶然ではあるが、なかなかおもろい偶然である。
中島さんのブログを読ませていただき、ふと、そんなことを考えていたのである。(東京まで出向き販促に奔走する中島さん。おおきに)
2009年11月6日金曜日
「事実」の尊さ、重さ
「奇跡の寄席」に関し、今日も数名の方からご連絡をいただいた。もちろん、お気遣いいただいてのご感想であろうけど、これまでで最も多いご感想は、「一気に読んだ、読めた」という主旨のものである。4万字程度の本なので短時間で読めるのではあろうが、「リズム、テンポが良いから」という声は、筆者としては嬉しい。また、次に多いご感想が「感動した」というものである。三枝師匠の熱意、行動が多くの方々の共感を得たようだ。私自身、「感動させる」ことは全く頭になかった(当たり前やけど)。ただ、単に事実を綴っただけである。それゆえに「事実」の尊さ、重さを痛感している。
2009年11月5日木曜日
「奇跡の寄席」がもたらすもの
アサヒファミリーというフリーペーパーがある。北摂と阪神間の朝日新聞に月何度か折り込みされているらしいが、朝日新聞は購読していても堺市に住む私は目にしたことがない。今日、夕刻5時前、1通のメールが入った。高校時代の同級生からであった。数年前の同窓会でホントニ久しぶりに会った思い出の人である。アサヒファミリーで「奇跡の寄席」の記事を見たという内容だった。どうやら、最新号で記事にしていただいたようだ。そういえば、以前、140Bの中島社長からそんな話は聞いていた。140Bの広報努力により記事になったようだ。ありがたい。
「奇跡の寄席」を通じて古くからの友人と連絡が取り合えることになるとは。「奇跡の寄席」はいろんなものをもたらしてくれる。ラグビーボールのような転がり方をするなあ、と思っている。(ところで、いったいどんな記事なんやろう???)
「奇跡の寄席」を通じて古くからの友人と連絡が取り合えることになるとは。「奇跡の寄席」はいろんなものをもたらしてくれる。ラグビーボールのような転がり方をするなあ、と思っている。(ところで、いったいどんな記事なんやろう???)
2009年11月4日水曜日
平川克美さん、ありがとうございました。
書店の「奇跡の寄席」
さて、書店の扱いである。9月16日の発売後、紀伊国屋、ジュンク堂、旭屋書店、ブックファースト、総じて「話題書」として扱って下さっている。あの紀伊国屋梅田店でも新聞記事のPOP付きで紹介して下さっていた。今回初めて知ったが、当書籍が該当する芸術、文芸のコーナーというのは、ホントにどの書店でも奥まったところにあり、落語はその中でも更に奥まった場所に陣取っている。それだけに、話題書のコーナーに置いていただいている間が販促の機会となるようだ。なかでも、ジュンク堂のヒルトン店(写真)と千日前店では大きなコーナーを設けて下さった。140Bの販促のおかげである。
2009年10月29日木曜日
奇跡の寄席 天満天神繁昌亭

本を書いた。楽しかった。多くの方々のお世話になった。「奇跡の寄席 天満天神繁昌亭」というのがそのタイトル。140Bという出版を始めたばかりの大阪の会社から発行していただいた。経験したこと、見聞きしたこと、ありのままを書いた。桂三枝師匠にはインタビューはじめ、様々なご支援を賜った。ご自身のコラムでも過分なご紹介を頂戴した。感謝してもしきれないほど、常々お世話になっている。産経新聞さんにもご取材頂いた。大栗のネタ帳さん、えごころ・まごころさん、ぐうぐうさん、からもご感想頂き、ありがたい限りである。それと、いわゆる身内ではあるが、青山さん、0.1knotさん、そして中島さん、青木さん、からもコメントを頂いた。140Bの紹介でラジオでコメントもさせていただいた。そして、気づいたことがある。「残念なことに、思いのほか、繁昌亭建設の経緯、特に桂三枝師匠のご尽力は知られてないんや」ということである。落語協会内の意見集約、建設費の募金、定席の運営・・・様々な課題を乗り越えた事実・・・。そういった三枝師匠の情熱・行動の一端を書きとめた。それだけに、出来ることならばお一人でも多くの方にご一読いただければ、と思っている。
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